BlueSkyで教えてもらい、見始めたHelck。
折しも四半期のシーズン切替え時期で、新しい作品を見始めることに抵抗感がない時期。
またタイミングよく出張で動画視聴に集中できる時間環境もありました。
このように気軽に見始めたのに…刺さってしまいました。
なぜ私はHelckを知らなかったんだろうと調べたら、Helckって2023夏-秋アニメだったんですね。
この時期は、フリーレンにMyGO、SPYxFamily、薬屋のひとりごとなど、数多くの名作が目白押しな時期でしたね。
もしHelckをリアタイしてたら、23年リアタイの最推しに挙げてたかもです。
とくに13話以降の後半はリアタイだったら毎週のようにつらたん廃人になってたでしょう。
19話そして24話で二度、涙腺が解放されました。
リアタイでなく一気見で良かったです。
Helckが刺さった理由はたぶん、私個人の境遇から感じるヘルクへの共感が深いのではと。
自分語りになりますが、ヘルクへの共感を抑えがたい理由を敢えて言語化します。詳細は私事なので控えますが、辛い人生を何とか生き永らえた今、私にも教訓にしていることが2つあります。
「自分の体験を価値とする」「他者を尊重する人を尊重する」です。
謂れなきことで誹謗中傷を長年受けてたら、18話の処刑場の民のような他人の伝聞に左右される人よりも、目の前の相手を大事にする人の内にほど本質があったことに、そしてそんな仲間とならいつの日か本質に必ず到達できるということに、気付くことができたからです。
これはここまで苦しかった道のりだからこそたどり着けた境地だと思ってます。
明るく振る舞っているヘルクには、絶望が深かったからこそ明るさの尊さを知っているのでは、と共感を禁じえません。
翻って私たちの浮世、ずっと幸せに生きてきたひとなんて見たことありません。
ヘルクが刺さる人は、この浮世では多いのではないかと。
蔑まれ、信じた人にも裏切られ利用され続けたあげく、多くの大事な人まで失わざるを得なかったヘルクの悲愴な過去。
疑心暗鬼になってもやむを得ない環境なのに、その後もヘルクは理由があり笑顔を絶やさなかった。
笑顔を続けたから魔界に受け入れられた。
ヘルクが剣を託そうとしたヴァミリオは受けとめるだけでなく信用してほしいと自分の身分を明かし剣を受け取る。
アリシアにさえ手をかけねばと覚悟を決めようとするヘルクに、ヴァミリオはヘルクが内心に押し殺してきた根源的な希望を喚起した瞬間…
他人から聞いた伝聞や属性よりも自分の目の前の人や体験を大切にしてヘルクがここまで生きてきた気持ちが解放された瞬間の尊さ。

相互信頼が尊い!
Helckの作中前半は敢えて既存の勧善懲悪の固定観念を逆手に取り、魔族と人間のステレオタイプを活かしたコントラストのおかげで、魔族をコミカルに見せてます。
でもこれは決して皮肉ではなく、魔族に愛着ある人間性を感じさせるところに、本作の本質があると邪推してます。
一見悪に見えそうな者の中に実は真の善があり、逆に善に見えそうな者の中に真の悪がある、という本質が。
これ、今の私たちの浮世でも一緒なのでは。
ヴァミリオはじめ魔族の「愛着ある悪魔ぽさ」や、ヘルクが明るく「人間滅ぼそー」これらは実はすべて本音で、人間のほうが余程どす黒い闇。
人間からは人間性が感じられず、魔族のほうがよっぽど人間性あるという皮肉。
最近、ヒューマノイドのATRIや、叫竜の血を引くダリフラのゼロツーなど、人間ではないキャラクターが持つ深い人間性と、そのコントラストで人間が「人間性を失っている」設定がしっくりくる作品を多く目にします。
このような作品に共感する私はそれだけ現代社会に閉塞感を感じてるのではと考えすぎてしまっています。
20話でヒュラさんがエディルに言った科白。
「あんたたち人間はそれをはるかに超えたクソ、クソ中のクソ、特に質が悪いところは、犯したあやまちを正当化していること」
ステレオタイプな分かりやすい悪の影に隠れた真の悪。
例えば騙したり裏切ったりとか、責任のなすりつけとか、手柄とりだとか、無謬性の誤謬のような、卑怯な悪が蔓延っている浮世へ…
最後になりますが、この作品、希望を見つけたところで終わって欲しくありません。
ヘルクには報われて欲しいから是非二期やってほしい、てかやるべき。
ヘルクが報われると自分も報われるので。
我慢できずそのうち原作にあたりそうです。